しんぶん赤旗九州・沖縄面2006年5月3日(水曜日)
水曜随想
水俣病被害
「救済」ぬきの「教訓」など、ありえない。
参院議員 仁比聡平
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一九五六年五月一日、チッソ水俣工場付属病院長が「原因不明の中枢神経疾患が多発している」と水俣保健所に報告してから、五十年がたった。
しかし、半世紀たった今も、何らの救済を受けることなく、加害企業と国がつくり出した偏見と差別のなかで手をあげることすらできずに、幾多の被害者が苦しみ続けている。〇四年十月の関西訴訟最高裁判決の後、認定申請した方々だけで三千八百人を超え、すでに千人を超えた被害者の提訴は、家族にすら相談できずにひっそりと、あるいは親戚(しんせき)付き合いを絶たれても、と覚悟を極め、誇りと尊厳をかけた真実の訴えである。
公式確認の当時、多くの劇症患者、胎児性患者の発生にもかかわらず、チッソは有毒性を知りながら有機水銀を含む工場排水をたれ流し続け、増産し続けた。国はチッソを一貫して擁護し、その工場排水が原因であることを否定し、被害の拡大防止対策を怠った。それゆえに、汚染された魚介類を多食した人々の重篤な健康被害が不知火海沿岸全域に広がりへ一九六四年には新潟で昭和電工の排水による第二の水俣病が発生するに至った。まさしく国の責任である。
この被害は世代を超えて及んでいる。胎児性患者と同年代、あるいはさらに若い三十代、四十代の被害はその象徴であり、深刻な被害と影響がどこまで広がるのか今日なお解明されていない。
にもかかわらず国は、過去半世紀、疫学的な調査を一度も行わず、病像と原因、責任、救済対策のいずれにおいても加害企業を擁護し続け、厳しい行政認定基準で被害者を切り捨ててきた。
水俣病の歴史は、この国や加害企業と、命がけですべての被害者救済を求める被害者、国民とのたたかいの歴史である。
被害者を先頭に多くの人々が、発生当初から現地での医療・救済活動に献身し、三次にわたる裁判闘争支援をはじめ、すべての被害者救済のために全力を尽くしてこられた。裁判闘争のなかで国の責任が明らかにされ、一九九五年には「生きているうちに救済を」という切実な要求にもとづき、一万二千人の被害者への一時金と継続的給付および医療費などの政治的解決が図られた。
関西訴訟最高裁判決は、このたたかいの歴史の上に立って国と県の法的責任を断罪したものにほかならない。
にもかかわらず国は、被害者救済に背を向け、行政認定基準を改めようとすらしない。
慰霊式典で、小池環境大臣の白々しい言葉に、震える体を抑えがたいほどの憤りがたぎるのを感じた。
政府は「ノーモア・ミナマタ」の人間の尊厳の叫びを聞かなければならない。今こそすべての被害者を救済すべきである。
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