しんぶん赤旗2006年5月4日
水俣病50年B
不知火海全域で
まひの体でビラ配布
熊本・水俣港からフェリーで一時間十分、不知火海に浮かぶ天草・御所浦島。代々、漁で生計を立てる島民に被害が広がっています。
竹部良男さん(六二)、定ミ(さだみ)さん(六〇)夫妻も、今回初めて水俣病の認定申請をして国家賠償請求訴訟(ノーモア・ミナマタ国賠訴訟)の原告になりました。父親の長吉さんは第三次訴訟(一九八○年提訴)の原告団副団長でした。
■影響恐れて
「ニセ患者とか、何やかんやといわれよったですよ」。当時、良男さんは、陰口にもめげず頑張る父親の姿を見て、「私は絶対申請しないと思とったです」。
しかし、五十代から症状が悪化。手のけいれんが「ものすごくひどい」。漁の最中に糸をたぐれず、魚をにがすことも。
定ミさんは、平らな所でも、よくつまずいて転びそうになります。全身に電気が走り、痛くて動けず、呼吸ができないことも。首や背中、指の痛みやしびれがいつ起こるかもしれず「怖かったです」。
漁師だけに「食事は三食とも主食は魚。みそ汁の具も魚」というほど、水銀に汚染
された魚を食べ続けました。
それでも、タチウオなどが大量に死んで浮いたころは「さすがに気持ちが悪くて食べる気がしなかった」といいます。
人口四千人余の御所浦で、今回申請した約五百人のうち、九割が初めての申請だといいます。「聞けばほとんどが『子どもが』といいよりますね。申請したい気持ちがあっても、できんかったですよ」と良男さん。子どもの就職や結婚への影響を恐れたのです。
「今度の申請者も第三次訴訟の原告も症状はまったく変わらんとですよ。同じ魚を食べて被害の出た人に、いっときも早う変わらん補償をしてほしかです」
■事実知り声
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水俣市に隣接する鹿児島県出水市では今回、七百人以上が申請しました。
これまでになく多くの被害住民が声を上げた要因を、同市の中嶋敏子さん(六〇)=薬剤師、日本共産党市議=は「事実を知ったこと」と指摘します。中嶋さんの夫・武光さん(六三)は、原告団副団長で不知火患者会出水地区会の世話人代表。昨年三月に同地区会を立ち上げ、毎月の相談会を知らせるビラを繰り返し配りました。
ビラで「こういう症状が水俣病」と具体的に紹介し、一気に広がりました。一日四十人近い相談者で、会場があふれたことも。
申請者への問診では、魚の「入手経路」について「拾って食べた」の回答が相次ぎました。住民は海岸に打ち寄せられた魚を、何の疑問もなく食べていました。
「分かっていれば、食べてないですよ」という敏子さん。両手のしびれや震え、足指先の骨の変形、顔面左半分のまひや唇左半分のしびれ感などに悩まされています。武光さんも、足の爪(つめ)が変形して肉に食い込み、「拷問にあってるような痛み」に襲われています。
水銀中毒を防ぐ措置も、危険を知らせることもせず、水俣病の認定さえしようとしない政府への怒りが募ります。
敏子さんはいいます。「相談会の案内ビラの配布は、患者さんも手伝ってくれています。まひの体をおして、ころんだり、みぞに落ちたりしながらです。でもそれは、本当なら国がすべきことじゃないですか。水銀の垂れ流しを禁止しなかった真犯人なんだから」(つづく)
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