しんぶん赤旗2006年5月9日

水俣病50年F

国の認定基準

患者を大量切り捨て


 「何十年も漁師ばしとって、魚ばっかり食べとったもんが外れて、ずっと若いもんが認定された。おかしいと思わんですか。どこからどこまでが水俣病かはっきりしてもらわんことには」。漁師歴四十八年の男性(六三)月熊本・御所浦島”が積年の怒りを吐き出します。

■申請を却下

 二十歳前から手足がひきつる「からす曲がり」の激痛に耐えてきた男性は、一九九五年に水俣病の認定を申請しますが、「国が指定した病院で十分くらい調べてですよ、あと二十分くらい話ば聞いて、それだけで却下。年増の先生と、わっか(若い)先生がおって、わっか先生が診た人はみんな落ちとったです」。

 申請しても却下される大勢の被害者。国の「患者大量切り捨て政策」です。同政策は、一九七七年に環境省環境保健部長名の通知(七七年判断条件)で認定基準を改悪して以降本格化。今も被害者切り捨てに威力を発揮し続けています。

 この判断条件の厳しさは、裁判所が「水俣病患者を網羅的に認定するための要件としてはいささか厳格に失している」(八五年八月、第二次訴訟福岡高裁判決)と断罪したほど。

 しかしー。
「認定基準の見直しは考えておりません」(炭谷茂事務次官)。水俣病公式確認から五十年の節目を前にした今年四月二十一日、小池百合子環境大臣の私的諮問機関「水俣病に係る懇談会」で、環境省幹部が言い放ちました。

 被害者無視の態度に、委員からは「がんとして認定基準を変えない根拠を説明してほしい」「解決は国が責任を持ち、チッソからいくらとるかは、国とチッソでやってくれ」などの批判が続出。座長め有馬朗人元文部大臣も「要するに何をわれわれに議論しろというのか分からない。判定基準は議論するな、補償についても議論するなが前提なら、(議論を)やめましょう」。

 懇談会は、「公式確認五十年に向けて…助言を得る」として環境省が選任した十人の委員で構成したもの。「五十年」が過ぎても「助言」の形すら見えず、委員と環境省の亀裂だけが目立つ同会は、環境省の孤立を浮き彫りにする場となっぞいます。

■解決の道は

 「補償と水俣病の病像の間「題は、切り離してきちっとすべきです。実は、国はすでにそうしているんですよ」。水俣病医療の第一人者、藤野糺医師(六三)が指摘します。
「水俣病といえるためには、水銀に汚染された魚をたくさん食べたという疫学的条件と感覚障害だけで足りる」

――藤野医師を先頭にした多くの医師、支援者らの努力で、「水俣病とは何か」の根本問題は「汚染魚を多食した事実と四肢末梢(まっしょう)性感覚障害があれば水俣病」と判示した福岡高裁判決(八五年八月確定)などに結実しました。

 「高裁判決の翌八六年に政府が実施した『特別医療事業』や九五年の政府解決策の『総合対策医療事業』。これらの救済基準も、私たちの基準そのものでした。あとは、この基準を国が『水俣病だ』といいさえすれば、認定基準の問題は解決するのです。それだけの話」と藤野医師。

 「ノーモア・ミナマタ国賠訴訟」原告団長の大石利生さん(六五)は提訴前の昨年六月、環境省を訪ねた時のことを思い出すと今でも怒りがわいてきます。「『私たちが出した診断書を実際に見たことがありますか』の問いに、『見たことがない。それは県が見るもの』といわれました。ふっきれた気がした」といいます。

 「行政に私たちを救済する気はない。このままでは救済されない。もう司法しかない」と。(つづく)