しんぶん赤旗九州・沖縄面2006年7月5日(水曜日)

水曜随想

沖縄戦の記憶と高校生

衆院議員 赤嶺政賢


 今年も「沖縄戦全戦没者追悼式」に参加した。毎年沖縄戦の組織的戦闘が終わったとされる六月二十三日にとりおこなわれ、沖縄県では公休日になっている。

 資料館で米軍が撮影した記録フィルムをみた。会場いっぱいの人々が必死にみつめている。井戸から子どもやその母親らしき女性、お年寄りが次々助けだされる場面には息をのんだ。

 井戸の中にどうやってあれだけたくさんの人がかくれることができたのか。しかも各地で井戸が避難場所だったようだ。井戸に横穴があってそれが「がま」(洞くつ)につながっていたらしい。そこに家族、親せきが身を寄せ合って隠れていたのだ。

 沖縄に「艦砲の食(く)えー残(ぬく)さー」(艦砲射撃の食い残し)という言葉がある。戦争の生き残りという意味。同名の沖縄民謡もある。

 最後の章の歌詞を私流に意訳すると。
 「親や島をくいつくし破壊しつくしたあの戦争、艦砲射撃。たとえ生まれかわっても忘れられない。誰があの戦争を強いたのか。いくらうらんでも憎んでも足らない。子孫末代までこの戦争体験を語り伝えなければ」

 その沖縄戦の記憶を持つ人が人口の二割を切ったそうだ。沖縄戦を語りつぐ課題がますます重要になってきた。
 式典では那覇商業高等学校三年の池彩夏さんの詩の朗読に励まされた。

 池さんは、米軍の戦闘機や基地が生活の一部になじんでしまった状況から「沖縄戦はどこにきえたのか」と自問自答し、沖縄戦を風化させようとする時代の逆流をみつめ、そのような時代のブレーキになれるのは私たち若者といいきった。

 式典の意味をこわしたのは小泉首相だ。翌日の沖縄タイムス紙は式典での小泉首相のあいさつを取り上げた。「その構成は昨年と同じ」「沖縄戦に触れたフレーズは一字一句が“前年踏襲”で、終戦から『六十年』が『六十一年』という部分が唯一違った点だ」と。

 私は彼の過去五回分のあいさつを調べてみた。毎回そんなあいさつのマンネリと惰性のくりかえしなのだ。戦争の傷がまだいえないところに塩をすりこむ挑発的な逆流のもちこみの姿勢には腹がたった。「こんな行為が許されるとおもっているのか」。こう決意をあらたにした式典だった。

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