しんぶん赤旗九州・沖縄面2006年7月12日(水曜日)
水曜随想
「不屈の闘士」受け継ぐ
参院議員 仁比聡平
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7月2日、福岡市博多で故諌山博さんを語る集い開かれました。諌山先生は九州における自由法曹団の草分けであり、国会議員としての大先輩です。
私は、京大学生運動を卒業するとき「法律を武器にした職業革命家をめざす」と仲間たちに宣言して司法試験の受験生活に入りました。これが容易ならざるたたかいで、孤独に陣吟(しんぎん)する二十代の数年間が続きました。
そんなころ、母が段ボールにジャガイモやニンジンと一緒に詰めて送ってきたのが諌山先生の還暦を機に発行された著作集『司法における民主主義』でした。何度もすみずみまで繰り返し、ときには眠れない夜に胸を熱くしながら、むさぼるように吸収しました。
とくに繰り返し読んだ一節に、三池闘争の最終段階、二万人の労働者と一万人の警察官がホッパー広場で対峙(たいじ)したときの、描写があります。
「会社の弁護士は、裁判所の仮処分をたてに、警察の力で座り込みを排除するよう迫ります。…私は…『団結権にもとつく当然の座り込みである』『団結権の平穏な行使には、いかなる権力も介入できない』、こういって警察権力の発動に反対しました。仮処分を執行して流血の惨事が起これば、三井と警察と執行官の責任を厳しく追及することも宣告しました。
そのときです。静まり返った座り込みのなかから、ひとすじのうたごえが流れてきました。『雨の降る夜はつらかろね』ではじまる『三池の主婦の子守唄』です。小さくはじまったうたごえは、みるまに労働者の隊列にひろがり、ホッパー広場を包みこみました。……この日、座り込みを排除しようとする仮処分の執行は、ついに着手に至りませんでした」(一部省略)
祖父は三池炭鉱労働者でした。私は、一九六三年十月の生まれですが、その一カ月後、三川鉱の炭じん爆発で四百五十八人が殺され、八百三十九人がCO中毒にされ、炭住育ちの父は製鉄労働者の仲間を引き連れて救援に入りました。当時二十六歳の母は、その時の不安と資本への怒りを、日記に克明に残しています。
歴史的条件は違っても、諌山先生のような弁護士になりたいと願った私が、今、国会の議席を預かっています。
もう一冊、米軍占領下反共の嵐が吹き荒れた五〇年代に国会で激しく戦った川上貫一元衆議院議員の『話しのはなし』という大切な本があります。
諌山先生が、党の立候補要請を受けて決意した三浦先生に「三浦同志に贈る」とサインして贈られたものです。七年前、私が要請を受ける決意をしたとき、その隣に「仁比同志に贈る」こうサインして三浦先生はこの本を私に託されました。
どんな困難があろうとも、私は、この決意を少しも揺るがせにすることはできません。「大先輩になられたからといって、諌山さんが変わったわけではない。諌山さんの身上は、労働者的な世界観の上に立った強固な信念と、どんな力にも屈しない不屈の闘士である」(具島兼三郎九大名誉教授)。先人のたたかいを受け継ぎ、全力で奮闘・勝利する決意を固める夏です。 |→TOP|
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