しんぶん赤旗九州・沖縄面2006年8月9日(水曜日)
水曜随想
被爆者の声を聞け
参院議員 仁比聡平
被爆者の証言をはじめて聞いたのは、十八歳のとき、広島の平和記念公園でのことだっ
たと思う。「はだしのゲン」や大江健三郎さんの「ヒロシマノート」にはじまり原爆作品を手当たり次第読みあさっていた当時の私の目には、被爆体験を語るその女性が意外にも若く映った。よく知られる山口仙二さんのようなケロイドが目立つわけでもない、一見健康そうに見える、母親と同世代の、「人間」の上に原爆は落とされたのだ、という事実に、私は衝撃を受けた。
翌年の原水爆禁止世界大会で、夜行の鈍行列車で長崎を訪れた。以来、広島、長崎を訪ね続けてきた。被爆者の証言に聞き入るたび、強い日射しとセミの声が消え、被爆者と一対一になる。そんな感覚は私だけのものではないだろう。同時にヒロシマ、ナガサキは、平和を求める連帯と情熱の力強さを私に教えてくれた。
あのころからでも二十年余がたった。六十一回目の原爆の日を迎えて被爆者は高齢化している。その長い間の病苦と偏見、差別をおして被爆者が原爆症認定の集団申請を行い、これを却下する国に対し集団訴訟を提訴する。それは、アメリカが核先制攻撃戦略と「使いやすい」核兵器の開発を標ぼうし、イラク戦争を強行し、小泉政治がこれに付き従うことに我慢がならないからである。被爆者が「人生最後の平和運動です」と先頭に立ち、青年が「私たちは被爆の実相を直接語り継ぐ最後の世代」と熱い支援を広げる。
こんな重たい訴えに、広島地裁が全面勝訴の判決でこたえた下で迎えた広島・長崎の日は、格別な意味をもっている。
ところがこの国の首相は、自らを吉田松陰になぞらえはしゃいで後継者だという政治家の地元を回る時間はあっても、広島で被爆者の声を直接聞く会には五年連続で欠席した。
「たとえ『ぬかにくぎ』でも話がしたかった」という広島被団協理事長の言葉は重い。
被爆者の訴えをついに聞こうとしなかったこの首相は、自らの靖国神社参拝強行については記者団に強く示唆したというのである。
侵略戦争を美化し正当化しようとする歴史認識と、核戦争の被害をより小さく見せようとするアメリカいいなりの被爆者切り捨ては同根である。
そんな恥ずべき戦争の論理と、政治家を立ち去らせるスクラムを固める夏である。 |→TOP|
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