しんぶん赤旗九州・沖縄面2008年5月28日(水曜日)

水曜随想

たたかいの歴史脈々と

衆院議員 赤嶺政賢


 気象庁は五月二十二日、「沖縄・奄美地方が梅雨入りしたとみられる」と発表した。沖縄県議選挙は梅雨のまっただなかでたたかわれる。投票日(六月八日)の前日は旧暦で五月四日。その日は「ハーレー鐘が鳴る」。

 ハーレーとはウミンチュ(海人)たちの勇壮な爬龍(ハーリー)船競争のこと。開始を告げるのがハーレー鐘だ。沖縄では『ハーレー鐘が鳴ると梅雨が明ける』と言われている。その日を境に沖縄は本格的な夏を迎える。
・幸いというか、空梅雨だがそのかわり、炎天下のなかでの選挙戦だ。太陽とたたかいながら街頭からあつい訴えをつづけている六人の候補者の姿にいつも敬服している。

 沖縄で県議選挙が行われるようになったのは、祖国復帰を実現した一九七二年の六月からだ。それまでは、米軍占領統治下で「立法院総選挙」が行われていた。「立法院」といっても、自治権は全くなく、米軍占領統治への協力を求められていた機関にすぎない。

 議会開会はアメリカ軍の「高等弁務官メッセージ」とよばれる施政方針演説からはじまった。最高権力者に立法院議員たちが迎合的な態度をとるなかで、当時唯一の沖縄人民党立法院議員だった古堅実吉氏(元日本共産党衆院議員)は、起立拒否、抗議の退場など抵抗の意思表示をくりかえし、ついにこれを中止においこんだ。

 沖縄人民党は、米軍の直接統治下の議会であっても、自治権の拡大を主張する場として弾圧に屈せずたたかった。ゲリマンダー(小選挙区制)をおしつけられたり、「高等弁務官」が選挙資金をばらまくなどして人民党の進出を抑えようとした。最後は人民党の候補者の被選挙権を剥奪までして抵抗を抑えようとした。

 沖縄人民党の不屈のたたかいは、革新共闘結成に発展し、一九七二年祖国復帰をかちとる力となり、第一回県議選挙では六人の議員団を確立した。

 今回の県議選挙は、党は三議席から六議席をめざす。沖縄戦教科書問題、キャンプハンセン訓練場撤去問題で、超党派の県民大会を推進した三人の県議団は、米軍統治下の人民党のたたかいの歴史を脈々とひきついでいる。

 三議席が六議席になったとき辺野古新基地建設をストップする確かな力が生まれる。日米同盟に風穴をあける歴史の流れが大きくなる。こんな期待をもって、県議選挙をたたかっているところです。

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