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福岡民報 2002年12月号より |
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衆議院議員九州・沖縄ブロック事務所 橋爪 孝司 |
はじめに「有明海の漁獲量が減っている」――武藤明美党佐賀県議から話を聞いたのが2年前の秋。小沢和秋衆院議員事務所が、有明海・諫早湾干拓問題にとりくむきっかけになり、最初に質問主意書(文書質問)をだしたのが、2000年10月13日。以来、小沢議員自身「郵便チェスのようだ」(政府が熟考して回答し、答弁時間が一か月もかかる)と述懐した質問主意書が7回。国会質問が5回。現地の運動と連携しながら、理のない政府・自民党を着実に追い詰め、情勢を切り開いてきました。その論戦をふりかえりつつ、来たるべきいっせい地方選挙にいかしたい。 一、有明海の漁獲量の変化を認めないところからはじまった
ところが、その答弁は「潮受堤防の締切りの前後でその漁獲量に著しい変化は見られない」(森喜朗内閣総理大臣/2000年11月14日)と、全く相手にしないものだった。 すぐ、2回目の質問主意書(小沢和秋「諫早湾干拓水門閉め切りによる沿岸漁業への被害対策および農地造成に関する質問主意書」/同年11月30日=以下「主A」)を提出、過去十五年間の有明海の県別、漁協別の主要十五種以上の漁獲量の推移を示す資料を請求、政府の数値で漁獲量の変化を証明しようしたが、政府の答弁は、「昭和60年以降の期間でとらえた場合、総じて減少傾向にあると見られるが、平成九年四月の潮受堤防締切りの前後でその傾向に著しい変化は見られない」(森喜朗内閣総理大臣/2001年1月23日)と、閉め切り前後での変化を認めなかった。 しかし、15年分の膨大な漁獲量データを引き出したことがいきた。向直也・小沢衆院議員秘書は漁種別グラフにして分析し、さらに資料を請求し続けた。この執念が、2月28日の衆議院予算委員会での小沢議員の質問(以下「質@」)でパネルとして示された。(写真) 「1990年の諫早湾の潮受け堤防の工事の前は、むしろ生産量はふえていました。それが、工事が始まった直後から漁獲量が目に見えて落ちており、4年前、97年の堤防閉め切り後、さらに決定的」(質@)と小沢議員が追及。 「数字を見る限り、確かに、私が持っておりますところの資料におきましても、そういう傾向が出ているということは、私も認識」(谷津義男農水相=当時)と、否定し続けた政府も、認めざるをえなかったのである。 二、干拓事業推進の根拠=「防災効果」「水門開放困難」をくずして2001年3月27日、農水省の有明海ノリ不作等対策関係調査検討委員会(以下「第三者委員会」)が、防災・排水機能確保などの条件付で水門開放による原因調査をするよう提言。ところが、農水省はこの条件付を逆手にとって、4月17日に、第三者委員会で「干拓地の排水門を閉めたままで行う現状把握は、少なくとも四季を通じた一年間が必要」と提案し、第三者委員会は漁民代表等の委員の猛烈な反発があるなか、これを認め、水門開放が先延ばしになった。 それだけに、政府が干拓推進のよりどころとする防災根拠をくずしていく必要があった。 【干拓事業の防災効果が低平地全域で機能しないことを明らかにした】4月27日、小沢和秋、赤嶺政賢の両衆院議員は、連名で3回目の質問主意書「有明海再生と漁民等の生活をまもる緊急対策に関する質問主意書」(以下「主B」)を提出した。 質問主意書では、「本年3月の長崎県議会での日本共産党中田晋介議員の質問に対し、県農林部の諫早湾干拓担当参事監は『干拓の効果としては、中心部の対策とかの効果としては認めません。都市部の上の方の洪水対策への効果としては見ておりません』と答弁し、洪水対策として干拓が機能しないことを長崎県当局自身も認めた。国はどう考えるか」(主B)とせまった。 しかし、答弁は「本事業の防災効果は諫早湾周辺低平地に広く及ぶ」(小泉純一郎内閣総理大臣/2001年5月29日)と従来の主張を繰り返すだけだった。 その根拠をくずすため、5回目の小沢、赤嶺両衆院議員連名の質問主意書(「諫早湾干拓事業の見直しと『防災』機能等に関する質問主意書」(2001年11月9日/以下「主D」)では、農水省が防災効果を証明する例としてあげた、99年7月23日の豪雨が、低平地の水田被害を防いだというウソを暴露した。 諫早市役所342ミリに対し、同時刻の森山町役場は64.5ミリ、愛野町役場は30ミリ、干拓中央観測所では138ミリと実際のデータを示し、「諫早市街地の雨量だけを使って、低平地全体の湛水被害軽減に効果があったという主張は人を欺くものではないか」と追及。 「森山町や愛野町を含む諌早湾周辺低平地全域を対象としたものではない」(小泉純一郎内閣総理大臣/01年11月9日)と答弁し、干拓事業の防災効果が低平地全域で機能するウソをくずしたのである。 【開門調査拒否の根拠もくずし、短期調査へ道を開く】「排水門における海水の流入出速度を排水門周辺の環境に急激な影響を与えないような、また、構造物の安全に影響のない範囲とし、防災機能にできるだけ影響を与えないよう調整池の水位を標高マイナス1m以下に保つ」(小泉純一郎内閣総理大臣/01年5月29日/主Bへの答弁)――このような政府が水門開放を拒否する根拠も、くずさねばならなかった。 党としては、「一日も早くヘドロを巻き上げないような方法で水門を開放し、湾内に海水を」(主B、主C)と主張し、護床工の強化など必要な対策を打ち、排水門の操作で対応できると考えた。 そこで、主Dでは「水門の護床工外側の流速を1.6m/秒以下に制限しないと底泥層の洗掘が起こり、護床工の強化と拡充の対策を行おうとすれば相当な期間と費用を要する」という政府の主張に対して、「大雨時の調整池の排水は水門を全開にして行われている。我々の試算では1.6m/秒をはるかに超える流速になるが、これまで一回もそれを超えたことがないと断言できるか」とただした。 「大雨時に調整池から排水した場合、御指摘のように1.6m/秒を超える流速が発生することがあると推定される」(小泉純一郎内閣総理大臣/01年11月9日)と事実を認め、「排水門操作によりその出入量や流速を調整することは十分可能」(同)と、農水省の水門解放を拒む根拠をくずした。 こうした質問主意書の論戦を漁民・市民に知らせることで、「普段ではわからない国会内での諫早湾干拓のことがわかり、漁民の情報になっています。共産党はまじめに対応し、よくやってくれる」(柳川市・漁民)と党への信頼関係も深まっていった。 【再評価第三者委員会で質問主意書が引用】また、質問主意書での政府とのやり取りは、九州農政局が設置した諫早湾干拓・再評価第三者委員会(以下「再評価第三者委員会」)でもいかされ、委員から干拓事業中止を求める声としてだされた。 「6月26日の日本共産党議員による質問書に対する7月31日の政府の答弁書に出ています。…(中略)…つまり、ノリ不作第三者委員会提案と農水省提案の対立点は、出来るだけ大量の海水を出入りさせるか、あるいは、できる範囲で、つまり標高マイナス1m以下に保つような海水の出入りかであります。このような対立は、私たちの委員会としては大変不満であると思います。せっかくノリ不作第三者委員会が調査・研究を十分に行うために提案した『出来るだけ大量の海水を出入りさせて』調査・研究するという案が実現しないのは、この委員会の調査・研究に期待する私たちの委員会の期待に反するからです。…(中略)私たちの委員会はノリ不作第三者委員会が存分に調査・研究できるような条件を保証するために、干拓事業の中止を決める必要があると思います。」(2001年8月24日/第五回再評価第三者委員会・横川委員の発言)――再評価第三者委員会での事業見直しの答申や、のちの水門中長期開放の第三者委員会の提言、干拓事業縮小(東工区造成中止)につながったのである。 三、自民党やゼネコン・農水省のゆ着と利権の温床―諫早湾干拓事業、自民党政治の本質に迫る質問主意書では、干拓事業の根拠をくずしてきたが、自民党政治の本質には迫ることができなかった。献金問題での追及が、情勢を切り開くことになった。 そのきっかけになったのは、熊本・川辺川ダム問題で、筆坂秀世党政策委員長が調査に入り、2001年11月20日に記者会見で、ゼネコンなどダム受注企業が自民党熊本県連(同建設支部を通じたものも含む)に多額の献金をしていた事実を明らかにし、「ダム推進の自民党の姿勢のうらには、こうした抜き差しならない利権と癒着の構造がある」と指摘したことだった。 同調査にかかわっていた小沢事務所では、諫早湾干拓事業についても調査、向秘書が正月返上で、政治資金報告書など徹底的に洗い直した。 これが、小沢議員の衆議院予算委員会での2回の質問(2002年1月25日=以下「質A」、2002年1月28日=以下「質B」)で日の目をみることになった。 小沢議員は、「諫早湾干拓事業の受注企業が最近六年間に自民党長崎県連に献金…(中略)。この6年間に3億30万円もの多額の献金がゼネコンから自民党長崎県連に渡っております」「干拓の総事業費2490億円の約半分、1210億円を投入した潮受け堤防工事を受注したゼネコンへ農水省官僚が大量に天下りしている」(質A)、「1996年、97年には、当時の橋本総理は当委員会で、(賄賂を受け取った)問題企業や不良債権を抱える企業からは今後献金を受けない、受けていた分は返すと言明しました。せめて、こういう措置を講ずる気はないのか」(質B)などと、せまった。 他党議員からも「面白かった」「迫力があった」といわれる気迫もあと押しし、「問題のあるところから、企業献金であろうが、そういったものを受けることは私は適切ではないと思います」(武部勤農水相=当時/2002年1月28日)の答弁を引き出し、諫早湾干拓事業が自民党・ゼネコン・農水省の政官業のゆ着で成り立っており、事業がやめられない理由が明らかになったのである。 この川辺川ダム、諫早湾干拓での献金追及が、宗男疑惑追及でもいかされ、自民党政治をゆり動かす大きな役割を発揮していった。 四、有明海特措法で運動をおさえる政府・自民党の策略をくずして政府・自民党の巻き返しもし烈だった。2002年4月15日の深夜、武部農水相は、三県漁連会長、久間章夫衆議院議員、古賀誠衆議院議員、金子原二郎長崎県知事らと密談し、2006年度の干拓事業完成とひきかえに、短期開門調査の実施で「合意」した。そして、政府与党は干拓事業を推進させるため、有明海・八代海「再生」特別措置法案(以下「有明海特措法案」)を提案し、漁場整備事業の補助金引き上げで幕引きをはかろうとした。 党は、福岡、佐賀、長崎、熊本の各県委員会が集まって、有明海特措法案について議論、開発行為を規制するものでなく、有明海の再生に結びつくものでないことで一致。6月21日、党四県共同で、干拓事業の中止、公共事業受注企業の政治献金と天下りの禁止などを盛り込んだ「有明海・八代海再生のための緊急提言」を発表した。 小沢議員は向秘書に引き続き政治献金を調べるよう指示、5月13日の記者会見で、自民党長崎・熊本の県連と四県自民党議員へ干拓受注企業から16年間で11億円も献金していたことを暴露した。 「古賀氏元幹事長、漁民選挙支援蜜月に亀裂、再生事業者から献金、抗議自重を促され反発」(「朝日」02年8月18日)――2006年度工事完成で「合意」した有明海福岡県漁連が9月24日、工事差し止めを求めて、仮処分申請を申し立てる事態になった。さらに、11月26日、「よみがえれ!有明訴訟」も、漁民・市民ら416人の原告団で立ち上がった。 小沢議員は11月12日の衆議院農林水産委員会で質問(以下「質C」)。「(瀬戸内海環境保全特別措置法には)不十分ながら埋め立ての規制などが盛り込まれておりました。しかし、本法案にはそういう規制が全くありません。本法案成立でいよいよ諫早湾干拓事業は大手を振ってまかり通り、法案が事業にお墨つきを与える」と指摘。そして、干拓工事を受注してきたゼネコンなどが覆砂事業も受注し、95年から2001年までで福岡、長崎、熊本の自民党県連に計約1億7千6百万円、自民党の古賀誠、松岡利勝、久間章生各衆院議員、陣内孝雄参院議員に計約3430万円を献金している事実を示して、「漁業資源の回復には余り役に立たないことが経験的に確認されている覆砂を今後さらに大がかりに続ける背景には、政治家とゼネコンのこういう癒着がある」と追及した。 有明海特措法案は与党三党(自民・公明・保守)と自由・社民党の賛成で成立したものの、「諫干にふれず一時しのぎ」(「毎日」02年11月13日)と漁民・市民はその本質を見抜いていたのである。 終わりにいま、大きな争点は、政府が再開している前面堤防工事を中止することと、第三者委員会が提言した中長期の開門調査を実施させることである。前面堤防工事が完成すると、干潟再生のめがつぶされ、有明海再生は困難になる。また水門を開放し、海水を大量に入れることは、潮の流れを回復する第一歩につながる。 この重要な時期にむかえるのが、来年4月のいっせい地方選挙である。有明海四県で干拓事業反対をかかげる議員が多数派をしめるためにも、国でも地方政治でもその先頭にたつ日本共産党議員の勝利が不可欠であり、政府に痛打をあたえ、ムダな大型開発ノーの流れをつくる力になる。 同時に、工事差し止めの「よみがえれ!有明訴訟」は、干拓事業がムダであることを問うだけでなく、ムダな開発ノーの流れをつくる重要な闘争であり、党も連けいして支援を強める必要がある。 二月の長崎県知事選挙で、金子県知事への干拓受注企業からの政治献金を争点にしてたたかったことが、いきてきて、「長崎知事選をめぐる違法献金疑惑 ゼネコンルート 地元業者ルート 資金還流、根深い癒着」(「読売」02年12月15日)と自民党長崎県連への献金問題で長崎地検が捜査に乗り出している。 それだけに党の役割が鮮明になるチャンスでもあるし、福岡では新福岡空港ノーの無党派知事候補を支持してたたかうだけに、諫早湾干拓ノーの声は入りやすい。 川辺川ダム問題では、八代市でダム反対の市長が誕生し、熊本市ではダムに懸念をもつ元自民党県議が勝利している。人吉市でダム反対の候補が勝利すれば、流れが決まるところまで追い込んでいる。 私も微力ですが、新しい政治をつくるため、いっせい地方選挙での党候補勝利へがんばりたい。(論戦の詳細は小沢議員ホームページ参照 http://www.mmjp.or.jp/jcp-ozawa/) |